養豚に興味を持ったのは、高校一年生の時でした。当時は稲作・出稼ぎが主流で、豚は各家々におりましたが、残飯養豚が主で田畑に還元する堆肥を取るのが、おおかたの目的だったと思います。私の家もそういう農家の一軒でした。しかし、私が「養豚をやりたい。」と言ったのをきっかけに、屋敷に豚舎を建てたのが我が家の養豚業のスタートでした。それは私が高校二年生の時でした。
 それ以降、養豚は好景気が続き、面白いように出荷が続きましたが、豚の収入の方が米よりもありながら、それでも「米プラスアルファ養豚」という考えから抜け切れずにいた様に思えます。そのせいかどうか定かではありませんが(父が若かった事もありますが)父が私に養豚をまかせてくれませんでした。「基幹作物の米作りが一人前になったら譲る」と言うのがその理由でした。
 米作りに全く興味のなかった私は、家業を返り見ず青年会、農業近代化セミナールと昼夜走り回る日々が続きました。ピックサイクルはあるものの、順調にきた養豚も、だんだん前のようにだまっていても儲かる時代ではなくなってきていました。それに加えて税金の申告が厳しくなったことで、将来を考えると規模拡大をしなければという気持ちが強くなってきた事などから、法人化にふみきりました。その時、農業者年金の都合もあり父から経営面、作業面全てを私が引き継いだのです。思えばこの時、高校時代からの「俺は豚を飼う」という夢がようやく実現したように思います。そしてここから私の養豚人生が始まりました。

 しかし、規模拡大するという希望は、なかなか実現しませんでした。売りに出ている山があると聞けば、すぐに見に行き、腰まで雪の積もった山道を歩いた事もありました。また、ある所では神様がいる山だから「そこに手をつけると家族が次々に死ぬ」などと脅されたり、ようやく話が決まり手付け金を準備し明日から造作に入るという時に、持ち主から突然キャンセルされたりなど、そのような話は数知れず、30ケ所近い土地を見て歩きました。
 その間、規模拡大を断念しようと思ったこともありました。幸い父から引き継いだ時点で、借金はほとんどなかったので真剣に転職を考えたのです。その時、妻に「これから何をするにも一年生、今まで頑張ってきたのだから、私はあなたに豚置きのプロになってもらいたい」と言われ、心が決まりました。それから間もなくして館合(現農場)の話が持ち上がり、とんとん拍子に話が進んだのでした。
 私は規模拡大を考えた時からSPF農場をつくろうと思っていました。その理由は生産性の向上はもちろん、薬や注射をうたない「安全な肉を食べたい」「おいしい肉を食べたい」という消費者ニーズに最も合っていると考えたからです。病気をせず、すくすく育った豚肉はやわらかくとても美味しいものです。しかし、消費者に評価してもらうまでには時間がかかりました。

 かつて私は自分の生産した豚肉を加工し販売したくて、卒業と同時にハムメーカーに研修に行く予定でした。しかし、「そんな農業以外の仕事に手を出す必要がない」という父の強い反対で断念した思い出があります。当時、それをやるには時期尚早だったかもしれません。
 そして今、畜産業界は厳しい経営環境にありますが、このようなカタチで消費者の皆様と直結し、我が社で生産した豚肉である事をしっかり分かる販売形態を確立できたことをうれしく思っております。それと同時に多くの食卓に「安心・安全」なシルクポークをお届けしていきたいと考えております。